ブックタイトルICHINOMIYA Clip【一宮クリップ】vol.02

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概要

千葉県長生郡一宮町に定住・移住したい方々を支援する情報です

Published:2012.3.17お名前:Ben Weiさん35才サーフボード・シェイパー葵Weiさん35才一宮町人:2009年8月~先住地:カリフォルニア州サンディエゴ/埼玉県簡単に自己紹介をBenさん:生まれはペンシルベニアですが、2才からずっとカリフォルニアで育ちました。家族もそこに。5才からスケートボードをはじめて、16才(1992年)でプロ・スケーターに。スケートボードのブランド=グラビディのチームライダーになって、17才(19 9 3年)の時にその日本ツアーに参加したのがはじめての来日です。それで日本が大好きになった。サーフィンを始めたのは11才の時。なかなか自分のサーフィンに合う板がなくて、自分でシェープするようになりました。日本が大好きになったのは?Benさん:一番最初は、成田に着いて、コーヒーの自動販売機に感動しました。すごい!熱いコーヒーがいつでも缶で飲めるよ!それと缶ビールも自販機で買える!すごくビックリした。それと電車でどこでも行ける。カリフォルニアは電車がサンフランシスコとサンディエゴまで1路線しかなくて。あと、食べ物も大好きだった。とんかつと寿司が大好き。ほんとに住みたいと思ったけど、友達には「全然日本語も出来ないのに無理、無理!」って言われた。でも、僕はトライできると思ってた。というのも、来る前に日本語の勉強をちょっとしていたのね。パブリックのカレッジで日本語コースに行って。会話を一番勉強したかったのだけれど、それはあまりできなかった。でも、日本人のルームメートがいたからちょっと練習できたし、食べ物とか、その友達の日本人の友達が泊まりに来たりして、日本の文化も少し知ったし、ずっと日本人とはイイ感じだったからね。そういえば、2才の時ちょっとだけニューヨークに住んでいて、その時のベストフレンドが日本人だった。ヨウヘイって、まだ覚えている。彼の持っていた日本のおもちゃがすごくカッコよかった。クオリティも高くて、最新のテクノロジーが使われていて。ずっと前から日本のモノは好きだったな。2人が出会ったのは?Benさん:20 07年2月の2回目の来日で出会いました。今度は自分のサーフボード・ブランドのプロモーションのための来日で。葵さん:横浜のエキスポ(見本市)で、私は友達の会社のブースで営業の手伝いをしていて、その隣がスケートボードのブースで、Benのスポンサーでしたから、彼がブラブラしていて。そこで知り合いました。その後、同じ年の8月にサーフスケーターズ・コンテストというのが一宮町であって、それにBenはプロモーションを兼ねて選手として出場するために来日して再会しました。ちなみにB enはサーフィンとスケートの総合で4位でしたね。日本に住もうと思ったのは?Benさん:日本人は優しくて、安心感がある。カリフィルニアの人も優しいのだけれど、すごく危ない場所があったり、ドラッグやガン(拳銃)もいっぱいある。だから、いつもちょっとだけ気をつけていなくてはいけない。でも、日本に来るとすごくリラックスできる。何の心配もいらない。全部大丈夫、みたいな。それがすごく良かった。それは外国人の友達はみんな言うね。まるで「ディズニーランドみたい」って。みんながハッピーで、あまり心配がいらない。もし何か問題があっても、周りの人に聞いたり尋ねれば、たとえ英語がしゃべれなくても何か手伝ってくれたり、すごくナイスなフィーリングだよね。それは一番いい。みんなイイ感じ。あとはサーフィンとスケボーの友達もとても明るくハッピーな感じ。もちろん、妻と知り合ったのは一番の要因だよ。一宮に住むことになった経緯は?葵さん:B enは今までほとんど海の側で育ってきているからということと、やはりビジネスもしたいということで、海から離れた環境を考えたことがなかった。それで、私がいつもサーフィンで行きなれていたここ一宮町で再会することになったり。一宮町は東京にも近いし、環境的にもいいし。アパートの大家さんの息子ヒデヨシくん(プロサーファー)がカリフォルニアの